Case #58 - 言葉の向こうにあるもの


クライアントが様々な問題について話す時、その中で一番の「フォーカス」(焦点)を探りだすために、私たちは常に色々なものに耳を傾けていないといけない。 トレバーにとってのフォーカスは今の家族関係と関連していた。彼はとてもスピリチュアルな面があり、過去には僧侶にもなろうと思ったほどだ。彼はバツイチで、現在2回目の結婚をしており、子供もいて、家族はとても大切にしていた。 そのような安定した家族関係にありながら、彼は落ち着きがなかった。彼の現在の家族関係の反対側にあらわれたイメージは「山」というものだった。私たちがこれを探って行く中で分かったのは、トレバーにとって「山」とは自然との一体感、簡素な人生、自然保護、地とのつながり、スピリチュアルなことへの時間を持つ、ということだった。 ゲシュタルト法では、「両極端」に目を向ける様にしている。また、それが「割れて離れていく場合」はもっと注意して見る様にしている。そして、両方に注意を向けて、クライアントがどちらも受け入れることができる方法を見出して行く。 なので、わたしはトレバーの「家族を持つこと」、そして「地への想い」について彼の気持ちを聞き出そうとした。彼は新しく家族を持つことには抵抗を感じていなかったが、どこか心の奥底で満足していなく、落ち着きがないと言った。 彼と話して行く中で、彼は今の人生を選んだ自分と完全に和解できていなく、心の半分は今の人生、もう半分はどこか夢の世界にいるということが分かった。 わたしはトレバーに、自分も過去に同じような経験をしたので、彼の気持ちがよくわかるということを一生懸命伝えようとした。このようにクライアントとのつながりを表す言葉は、「共感性」を示すだけではなく、同じ人間として共有するために重要である。 わたしは自分自身のスピリチュアリティ、自然、家族に対しての想いや、自分が僧侶にはなれないという想いなどを話した。私たちはその後、しばらく深い沈黙の中にいた。そこには言葉で表せない想いがあったからだ。彼は自分で人生の決断をし、その結果このような想いを体験していたので、わたしには彼を助けることはできなかった。それは良いことでも悪いことでもなかった。彼の選んだ人生は痛みを伴うものだったが、満足を与えるものでもあった。その中では得るものもあったし、失うものもあった。そこには問題解決の促進も必要なかったし、誰かに自分の人生を解釈して教えてもらう必要もなかった。 ただ必要なのは、自分の心の中の和解と解決だった。 突然、私たちの心の中で何かスイッチが入ったように、場の雰囲気が変わった。 彼はわたしに「ありがとうございました」と一言お礼をいったのだ。ただ、それで十分だった。 セラピーでは話し合いをし、助け、物事を探るときもあれば、ただあるものをそのまま受け入れる時もある。何かを変えることができないとき、ただ相手と一緒にその場にいる、というのも一つの方法だ。 今回のセッションはとても心の奥深くに語りかけるもので、私たちはそれを感じることができ、トレバーは自分の気持ちを誰かに分かってもらうことができたと感じ、「割れた心」がやっと一つになってきたように感じることができた。



 投稿者  Steve Vinay Gunther