Case #45 - 不幸な人生


ベティーは自分の中にある不安について話をしたがった。しかし自分でもその不安がどこからきているのか、あるいは何に関係しているのかがわからなかった。 私は彼女の「不安」を探る前に、彼女のことをもっと知りたかった。そこで、彼女の子供や、結婚、仕事について質問をした。彼女は20年ずっと働いていた仕事を最近やめたため、今は彼女にとって過渡期であった。彼女は安定した家庭を築いており、娘は美人で有能であり、夫は彼女のことを愛していた。 しかし、彼女は幸せそうではなかった。私が彼女に、「今幸せですか?」と聞くと、彼女は「いいえ」と答えた。まわりの人は、彼女は理想の家庭を築いており、ばら色の人生を歩んでいると思っていた。私は彼女に何が不満なのか、と問うと彼女は自分が愛しているよりも夫が自分のことを愛してくれている、と答えた。「夫は良い人だけど、私たちはお見合い結婚で彼は私のタイプでは無いの」と言った。彼女のタイプがどういう男性かと聞くと、意思が強く、人生で明確なビジョンを描いており、センスがある人と答えた。夫はそれのどれにも当てはまらない、ということも。 私はこれを聞いてあっけにとられ、しばらく今聞いたことをプロセスする時間が必要だった。彼女は素晴らしい人生を歩んでいるのに、何かが欠けていた。私がもう一度彼女の目を見ると、彼女の目は彼女の不幸を語っていた。私が彼女に年齢を聞くと、彼女は44、と答えた。彼女に「これからの44年、あなたはだんなさんとずっと一緒にいれますか」と聞くと、「はい」と彼女は答えた。なので、これだけははっきりすることができた。彼女は、夫のそばにいるという決断を既に心の中で決めていたのだ。 しかしそこには基礎的な人間関係の繋がりが欠けており、情熱やつながり、一体感、というものが欠けていた。彼女はうわべだけの幸せを選んだ故、どこか心の奥底で満たされないものがあった。 ゲシュタルト法では、「選択肢」というものにフォーカスをおいており、すでにクライアントが持っている選択肢を探る様にしている。人生では様々な出来事が起きるが、その中でも私たちは色々な選択肢がある。私たちが「捕らわれている」と感じるのは、外面的な要素からくるものでは無く、私たちが自分に選択権があるということを忘れてしまうからだ。 また、「選択」というものには「結果」もつきものであるが、良い人生というのは物事を他人のせいにしたり、現実逃避するのではなく、自分が選んだことに対し責任を持つものである。 ベティが直面している状況はまさにこの通りだった。彼女の目の前にある選択肢ははっきりと見えており、またそれによる結果も見えていた。彼女は悲劇のヒロインのように嘆いていたが、このまま不幸なままでいたくなければ、何かを変えなければいけなかった。彼女は、今の現状を維持しつつ、自分で物事を選択する権利をも持っていた。私はしばらくの間、彼女の嘆きに共鳴し、彼女の現状を受け入れる時を持った。これは心のつながりの空間を築く上でとても大事なものだった。それは、変化を求めず、課題も与えず、ただそこにいて、その人の今の現状を理解し受け入れるものだった。この方法は「わたしとあなた」(I-Thou)とも呼ぶことができる。 少し経ってから、私は未来を予測し、仮定を生み出す質問をした。はじめから、この「仮定」のプロセスをふんでしまうと、回答の無い問いばかりになってしまう。しかし、少しばかり今の心の状態の中にとどまることで、これからの選択肢や他の見方を見つけることができる。 「ご主人はあなたが私に教えてくれたような心の状態をご存知ですか」と私が聞くと、主人には言っていない、と彼女は答えた。なので、私は自分の経験から相手が自分の嘆きに関し心を開いてくれた時のことを話した。ベティの主人は彼女を愛していたので、恐らくこの会話は何かを変えることができるだろう、と思った。わたしは彼が彼女の「タイプ」になることは不可能だが、もし彼が本当に望んでいるのなら、ベティの理想の男性に近づくため努力をしてくれるだろう、と言った。そのためにはまず彼女から、自分自身の気持ちや必要を伝えることが大切である。ここでチャレンジングなのは、それを良い結果をまねく方法で伝えることだ。 私はベティにまず、ご主人に彼女の目を10分間、会話無しでみつめてもらい、彼女の嘆きを伝えるように言った。そうしてから、彼女はご主人にどのように変わって欲しいか、少しずつ伝えるのだ。 しかし、これは彼女の不幸を変えてくれる解決策では無かった。実際、彼女は必要としているものが満たされない状態にいたので、私はベティに自分の創造性を活かすことをしたり、スピリチュアルなことをしてみるよう言った。こうすることで、彼女は外面からでなく、心の内から幸福を見出すことができるだろうからだ。 このような提案はゲシュタルト法では推薦されていないが、人がある特定の場所で心の時空が止まっている時、それを動かすためには心に喜びを与えるものをするべきだからだ。そして、その喜びを見つけることによって実際に心が解放されていくからである。



 投稿者  Steve Vinay Gunther